昭和47年 2月 | 医療法人 御上会 守山病院 開設 (病床数144床) |
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昭和49年 3月 | 人工透析室(4床)開設 |
昭和52年 8月 | 人工透析室増床(計10床) |
昭和57年 3月 | 財団法人 守山会守山病院 解散 |
昭和57年 4月 | 守山市民病院として発足 開設者 守山市長 髙田 信昭 院長 松原 恒雄(初代) |
昭和62年 4月 | 人工透析室増床(計20床) 機能訓練等外来部門充実のため増築 |
平成元年 4月 | 院長 佐竹 喜三雄(2代目) |
平成 6年 4月 | 長期療養型病床群(41床)開設 |
平成 7年 2月 | 開設者 守山市長 甲斐 道清 |
平成 8年 4月 | 院長 南 亮(3代目) |
平成 9年 2月 | 人工透析室増床(計26床) |
平成10年 3月 | 病院新築移転(病床数164床) 人工透析室を本館へ移転、増床(計40床) |
平成11年 6月 | 療養型病棟を別館4階へ移転 40床増設(計204床) |
平成12年 4月 | 医療介護併設型療養病棟 開設 (医療型療養病床 16床、介護型療養病床 24床) |
平成12年 7月 | 医療介護併設型療養病棟 病床数変更 (医療型療養病床 8床、介護型療養病床 32床) |
平成13年 4月 | 院長 塩 榮夫(4代目) |
平成15年 2月 | 開設者 守山市長 山田 亘宏 |
平成16年 3月 | 臨床研修病院指定 |
平成16年 4月 | 院長 西村 直卓(5代目) |
平成18年10月 | 別館を改修し、人工透析室20床を設置(計60床) |
平成19年 4月 | 院長 辻 雅衛(6代目) |
平成22年 4月 | 一般病床164床を159床に変更(計199床) 介護療養病床をすべて医療療養病床に変換(医療療養病床40床) |
平成23年 2月 | 開設者 守山市長 宮本 和宏 |
平成25年 4月 | 地方公営企業法全部適用 院長兼守山市病院事業管理者 辻 雅衛 |
平成25年 9月 | 敷地内全面禁煙開始 |
平成26年 3月 | 本館と別館の人工透析室を統合、本館に「人工透析センター」を設置 |
平成26年 4月 | 守山市病院事業管理者 辻 雅衛 院長 野々村 和男(7代目) 病床再編(一般病床159床→111床、療養病床40床→88床) |
平成27年 5月 | 電子カルテ導入 |
平成29年10月 | 基本協定書に調印 |
平成30年 4月 | 指定管理者制度(公設民営)により「社会福祉法人 恩賜財団 済生会守山市民病院」として発足(済生会81番目の病院) |
令和元年12月 | 回復期リハビリテーション病棟を開設(55床) |
令和 2年 4月 | 新館オープン 回復期リハビリテーション病棟55床を47床へ変更し、新館へ移転 新館に健診センター、内視鏡センター、リハビリテーションセンターを開設 |
令和 2年11月 | 療養病棟を本館へ移転 |
令和 2年12月 | 病床再編(一般病床111→151床、療養病床88→48床) |
令和 3年 7月 | 「済生会守山市民病院と滋賀県立総合病院の連携と協力に係る基本協定書」締結 回復期リハビリテーション病棟を増床(計100床) |
令和 5年 2月 | 開設者 守山市長 森中 高史 |
令和 6年 3月 | 別館解体 |
令和 6年10月 | 第一駐車場整備完了 |